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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)2292号 判決 1984年11月27日

控訴人

御子神正義

同(旧姓御子神)

白井チエミ

右両名訴訟代理人

佐藤勉

西山明行

藤本斎

被控訴人

三橋信

右訴訟代理人

畔柳達雄

岩田廣一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人らに対し、各金九〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年三月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、次に訂正、付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  訂正

原判決五枚目裏四行目の「鼻膣」とあるのを「鼻腔」と、一三枚目裏二行目の「事故は当時」とあるのを「事故当時」とそれぞれ訂正する。

2  控訴人らの主張の付加

本件において被控訴人の行つた医療行為は、次の各点において債務の本旨に従つたものではなかつた。

(一)  吸引分娩によつて純一に頭血腫を生ぜしめ、かつ、この頭血腫は自然治癒させるべきものであるのに、無用の穿刺及び切開を行つて化膿させた。また、純一は、数日来発熱、咳、風邪の症状を呈していたが、これに対して特段の治療を施さず、また、看護につき特段の注意を払わなかつた。

(二)  右のような状態にあつた純一については、習熟した看護人による常時看視体制をとり、体温の測定も一日に四回ないし五回行い、詳細な観察記録を作成するなどして、急変に備えるべきであつたのに、これを怠つたため、一月一七日夜から一八日にかけての純一の症状の変化の発見が遅れ、適切な治療行為をすることができなかつた。

(三)  純一の症状の変化を発見した後に行つた救命措置にも誤りがあつた。その詳細は、原判決六枚目表九行目から同裏一一行目までに記載されているとおりである。

3  右主張に対する被控訴人の認否

控訴人らの右主張は争う。

三  証拠関係<省略>

理由

一本件各当事者の地位、控訴人らと被控訴人との間の本件準委任契約の成立及び本件事故発生の経過についての当裁判所の判断は、原判決理由一項及び二項(原判決一八丁裏五行目から二〇丁表末行まで)の説示と同一であるから、これを引用する(ただし、右二項目の事実認定に供する証拠として「当審における証人室田てる子の証言及び被控訴人本人尋問の結果」を追加する。)。

二そこで、純一の死因について検討するに、被控訴人が本件事故発生当時、純一の口鼻周辺にミルクが付着していたこと及び窒息以外に死亡の原因が考えられなかつたことから、右死因をミルクの誤飲による窒息と判断したことは前記のとおりであるが、原審鑑定人内藤寿七郎の鑑定結果及び原審証人内藤寿七郎の証言によれば、新生児が本件のように哺乳後三時間以上も経過してからミルクを大量に吐くことは考えにくいこと、新生児が少量のミルクを気管又は気管支に吸引しても窒息の原因とはなりえないこと、新生児の死亡の際、少量のミルクを吐き出し、最後の呼気によつてそのミルクが気管又は気管支に付着する可能性のあることが認められるのであり、本件の場合、純一の口鼻周辺にミルクが付着していた事実を根拠として、直ちに吐乳を吸引したための気道閉塞による窒息が死亡の原因であるとすることは相当でないことが認められる。これと異なる被控訴人の前記判断及び右判断に依拠したものと推認される前掲甲第一九号証の一、二の警察官の所見は、いずれも右認定を覆すに足りるだけの根拠を有するものとは認められず、他に純一の死亡が右吐乳吸引による窒息死であると認めることのできる十分な証拠はない。

また、右鑑定結果及び右証言によれば、純一は、死亡に至るまで栄養状態が良好で哺乳力も十分あり、呼吸困難や嘔吐又は食欲不振、異常な排便などの形跡は全くないことから、同人が先天性心臓疾患あるいは肺炎等の急激に進行する呼吸器感染症、更には化膿による敗血症等に罹患していたとは考えられず、体温の変化も特段の異常を疑わせるようなものではなかつたことが認められる。他方、<証拠>と右鑑定結果及び右証言を合わせ考えると、生後数日ころから一歳ころまでの乳児の死亡例の中には、健康状態が良好に見えていたにもかかわらず、主として夜間睡眠中に、何の苦痛も伴わず突発的に呼吸及び心搏の停止を来たして死亡し、死亡後の詳細な解剖によつても直接死因に結びつくものを発見できないもののあることが近年知られるようになり、乳児突然死症候群と呼ばれていること、このような原因不明の乳児の突然死は、乳児一〇〇〇人に対し〇・五ないし〇・六人位の割合で発生しているといわれるが、季節的には冬に多く、女児より男子に多く、また純母乳栄養児に比し人工栄養児に多いとされていること、本件における純一の死亡についても、最も考えやすい原因は右の乳児突然死症候群であることが認められ、これに反する証拠はない。そして、以上のほかに純一の死因を明らかにしうる証拠はない。

以上によれば、純一の死因を具体的に特定することは困難であり、結局のところ、その死因は不明であるといわざるをえない。

三以上を前提として、被控訴人の責任の有無について判断する。

1  まず、控訴人らが被控訴人の債務不履行ないし不法行為として主張する事由のうち、純一の死因が吐乳吸引による窒息であることを前提とした主張は、右前提事実を認めることができないので、その点において既に失当である。

2  次に、控訴人らは、被控訴人が吸引分娩により純一に頭血腫を生ぜしめ、この頭血腫に無用の穿刺及び切開を行つて化膿させ、また、純一の発熱、咳、風邪の症状に対して特段の治療及び看護を行わなかつたことが誤りであると主張するが、右主張の各事由と純一の死亡との間に因果関係が存在することを認めるに足りる証拠はない。純一に対するテトラサイクリンの投与につき事前テストを行わなかつたとの点についても、右と同様である。

3  また、控訴人らは、被控訴人が習熟した看護人による常時看視体制をとるなどして急変に備えることを怠つたため、純一の症状の変化の発見が遅れて適切な治療行為を行うことができなかつたと主張するが、既に認定したとおり、純一がいつたん減少した体重を回復し、哺乳量も順調に増え、発熱の程度や頭血腫切開後の患部の状態等においても体調の急変を予測させるような特段の異常は何も見られなかつたことからすれば、右主張のような急変に備えるための常時看視体制までをとる必要があつたものとは認めがたい。そして、前認定の事実と原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、室田看護婦は、一七日午後一〇時ころ純一に授乳をした後、一八日午前零時三〇分ころに純一の様子に異常のないことを確め、次に同日午前三時ころ再び新生児室を見廻り異常を発見したため、直ちに同一建物内に居住している被控訴人が駈けつけて処置に当たつたことが明らかであつて、新生児を哺育する病院の通常の夜間勤務体制としては、特に不十分ないし不行届な点があつたものということはできない。

4  控訴人らは、更に、被控訴人が純一に行つた救命措置に誤りがあつたと主張する。しかし、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果に徴すれば、被控訴人が駈けつけた時点で純一は既に死亡していたか、あるいは救命不能の状態となつていた可能性も窺われるのであり、控訴人らの主張するとおりの措置をとれば救命しえたであろうと認めうるだけの具体的な根拠は見出しがたいといわざるをえない。したがつて、被控訴人の救命措置と純一の死亡との間に因果関係を認めることはできない。

右のとおりで、控訴人らの主張はすべて採用することができないから、純一の死亡につき被控訴人に債務不履行又は不法行為の責任があるとする控訴人らの本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく失当として棄却を免れない。

四よつて、これと同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中島 恒 裁判官佐藤 繁 裁判官塩谷 雄)

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